当HPにお寄せいただいた闘病記を紹介します。
「悪性ラブドイド腫瘍」という小児がんと闘った大地くんの記録です。
3歳の誕生日直前に発症、戦い抜いた小さな戦士とご家族の愛の記録です。
悪性ラブドイド腫瘍とは
悪性ラブドイド腫瘍は、1歳までの乳幼児に多く発症する、非常に進行が速く、確立した治療法がまだ見つかっていない治療が非常に難しい悪性腫瘍です。
日本では年間15例ほどの発症報告があり、腎臓や脳を原発とする例が多いです。
発症原因はまだ分かっていませんが、遺伝子異常という研究報告があります。
治療は腫瘍を取り除く外科手術のほか、抗がん剤を使う化学療法、放射線療法が用いられます。
悪性ラブドイド腫瘍と闘った大地くんの話
大地くんは3歳の誕生日直前に悪性ラブドイド腫瘍を発症しました。
最初は風邪くらいに思っていて軽く受診した病院で検査をしたらすぐに入院、病理手術となり、病気が確定しました。
仮面ライダーが大好きで庭先でお兄ちゃんたちと仮面ライダーごっこをしたりプールで水遊びするのが大好きな、どこにでもいる男の子でした。
闘病記はご家族のやりとりを経て少しずつ更新していきますので、彼の戦った姿を見てあげてください。
悪性ラブドイド腫瘍の初発
男の子ばかりの三人兄弟の末っ子大地は未熟児で生まれました。
「小さく生まれたけど俺たちで大きく力強く育てていこう」と主人が「大地」と名づけました。
ミルクの飲みが悪かったり、風邪をひきやすかったりと一番手がかかる子でしたが、天真爛漫で明るく、とても良く笑う子でした。
ある日の風呂上り、大地の体を拭いて着替えさせていると、腰のあたりが腫れている気がしました。
「どこかぶつけたのだろうか」三人目の育児で余裕があった私は、あまり気にもとめませんでした。
しかし、翌日の夜微熱を出し(元々熱を出すことが多い子でした)、病院に連れて行くと、先生は怪訝な顔をして色々と質問してきました。
「おしっこの出は悪くありませんか?」「元気はありますか?」「おなかを押すと痛がりますね(恥ずかしながら気づきませんでした)」など。
そして「ちょっと気になりますので、念のため入院して検査を受けましょう」と言われました。
おしっこの出についての質問をされたので、漠然と「腎臓が悪いのかな」「だから風邪を引きやすいんだ」と思っていました。
それでも治療すれば治ると思っていたので、事の重大さを飲み込めていませんでした。
突然の入院、手術の結果と病名宣告
入院、検査、手術とあわただしく過ぎていきました。
検査後、「右の腎臓に10センチほどの腫瘍があります。腎臓を腫瘍と一緒に摘出し、腫瘍は病理検査に出します。その間の進行を食い止めるために抗がん剤を始めましょう」といわれました。
抗がん剤?この子はがんなの?
頭の中で「がん」という言葉が何度も何度も回りました。
がんのはずがない、病理検査が出るまでの間の念入りの治療に違いない。
その思いは病理検査の結果、打ち砕かれました。
「悪性ラブドイド腫瘍です。予後が良くない進行の早い悪性のがんです」
同時に、かなり進行していること、転移の可能性もあること、色々な検査をして一番良い治療法を選択していきましょうといわれました。
私たち家族は大地を失うかもしれない恐怖のどん底に叩き落されました。
でもここで負けるわけには行かない。
まだ笑顔の大地が横に居る、そばにいる。
私たちが前向きにがんばらなきゃ。この子の未来を守らなきゃ。
大地が小学生になった姿をみたい、大人になった姿をみたい、孫を抱きたい。
大地の未来を絶対守る!生きているだけでいい。生きていればなんでもできる!
こうして、初発の治療が始まりました。
抗がん剤治療開始
抗がん剤治療が進むに従い、我が子・大地の元気は少しずつなくなっていきました。
吐き気、脱毛、嘔吐、不機嫌…。
どれも副作用として覚悟していましたが、実際に目の当たりにするとつらいものがありました。
なぜ大地がこんな目にあうのか。
別の子だったら良かったのに、こういう考えの親だから良くなかったのか。
色々な考えが頭をぐるぐる回りました。
大地は血管があまり浮き出ないタイプだったので、採血、点滴が本当に地獄でした。
一発でルートが取れることは珍しいほうで大抵3~4回でやっと入るくらいです。
何度も刺されて嫌がる大地を先生と私で押さえながら点滴をしました。
痛いよね、辛いよね。
「大地の未来をつなぐため」「大地の将来を守るため」時には心を鬼にしてがんばってもらいました。
がんばってもらうったってね…十分がんばってるよね、大地。
カテーテル挿入と感染
抗がん剤や必要な薬を入れるために全身麻酔を使って肩からカテーテルを入れることになりました。
このカテーテルは大事な薬を入れるためのいわば命綱のようなものなんですが、大地にとってはただの痛い管。
無意識にかきむしったりするのでヒヤヒヤします。
カテーテルに関しては何度も感染を起こし熱をだしたり、ベッドではしゃいだ反動で逆流してしまったりして何度も差し替えました。
カテーテルのない大地を思い切り抱きしめたい、防水テープを貼っておそるおそるシャワーを浴びることなくゆっくり肩までお風呂につからせてやりたい。
今までなら何も思わなかったささいなことが、私たち家族の夢でした。
退院許可
初発の治療はあわただしいことばかりでした。
突然の大手術にがん発覚、腫瘍を摘出と同時に腎臓を1つ失い、抗がん剤治療を耐え抜き、カテーテル治療…。
まだ3歳の大地にとっては何がなんだかわからない痛い毎日。
抗がん剤の副作用で、私を含め周囲の人全員に「みんないやだあっちいけー」と泣いてあばれました。
そうだよね。
大地にとってはお医者さんはただ痛いことをする人だよね。
怖いよね、辛いよね。
私は毎日毎日大地が少しでも笑顔でいられるにはどうすればいいのか、この闘病生活の中で楽しみを見出してあげるにはどうすればいいのかずっと考えていました。
そんな中、念願の退院許可がでました。
最初は外泊許可の間違いかと思いました。
外泊を飛び越えての退院。私も大地も手を叩いて喜びました。
残りの治療や抗がん剤投与は通院でできるそうです。
通院は痛い思いさせちゃうけど、おうちに帰れるからいいよね!
二人のお兄ちゃんたちも久しぶりに大地が家に帰ってくるのをとても喜んでくれました。
お兄ちゃんたちには大地の闘病につきっきりで寂しい思いをさせました。その分も取り戻したい。
大地はまだまだ免疫力が他の子に比べてとても低いので人ごみや遊園地には連れて行けないけど、十分な対策をして、できる範囲で色々おでかけしようね。
そして願わくば、このままがんが消えて完治に向かいますように。
異変と再発
それは通院の抗がん剤治療も終わり、経過観察が半年にさしかかるところでした。
毎回の経過観察は、どきどきしていましたが、「もう再発しないかも、このまま完治に迎えるかも」という淡い期待を抱き始めていたときでした。
エコー検査、レントゲン検査の結果、肺に腫瘍があることが発覚しました。
再発だろうと言われました。
2週間前の検査では異常がなかったのに…。
検査の後、ショッピングモールに行ったことで抵抗力の低い大地に影響がでてしまったのだろうか?
あの日の食事内容が原因だったのだろうか?
再発した原因を何度も頭の中で探しました。
私が悪かったのではないかと。
辛い手術、苦しい抗がん剤治療をがんばってきた大地。
これからその辛かった日々を塗り替えるように楽しい事でいっぱいにしようね!と言ったばかりでした。
それなのにまた大地には辛い治療の日々が始まります。
今後の予定として、入院、手術して新しくできた腫瘍を病理にかけて結果をみて治療方針を決めるとのことでした。
説明の間、先生の表情はずっと曇ったままだった…。
神様、どうか大地の未来を奪わないで下さい。
どんな形でもいい、大地とずっとそばにいたい。
私の未来をあげる、人生をあげるから…。
入院前の日々
再入院前に家族で旅行にいくことにしました。
これから大地にとっては辛い闘病生活がはじまります。
しかも再発ですから、治療成績や予後も厳しくなるでしょう。考えたくないですが…。
人ごみをさけてゆっくりできるところを選びました。
動物園は感染が怖いので、水族館にいく事にしました。
初めてのイルカショーや大きな水槽に大地は大興奮!
親子でゴーカートにも乗りました。
男だけの3兄弟、中学、高校と上がるに連れて大変になりそうと思ったことが懐かしいです。
大変でもいい、自分の時間などなくてもいい。
子供たちが健やかに成長して楽しい学校生活をおくる当たり前の日々がほしい。
再入院
再入院決定から旅行にいって、楽しんで。
また絶対楽しもうね!と心に誓って再び入院生活が始まりました。
レントゲンや血液検査の結果、再入院決定から今日までの数日で腫瘍が目に見えて大きくなっているといわれました。
同時に、最初の入院治療と比べてもかなり厳しい治療になり、正直どうなるか私たちにもわかりません。
諦めずに大地くんの力を信じましょう、と言われました。
こんなに医療が発達した現代でさえ、完治の治療法が確立されていないラブライド腫瘍。
この病気の進行の早さ、治療の難しさを改めて知ることになりました。
なぜそんな病気に大地がなったのだろう。
大地じゃないといけない理由があったのだろうか。
点滴と心電図に繋がれてぐったりしている大地に「ごめんね、ごめんね」と言うしかありませんでした。
代わってあげたい。何もできない。
親として何もできない無力さに夫婦で泣きました。
今後のこと。決断。
先生と今後のことを沢山話しました。
これまでより過酷な治療を行うのか、治療を打ち切って残された時間を精一杯過ごすのか。
何もしなかったら余命は半年。
この腫瘍の成長速度からしたらもっと早いかもしれない…と言われました。
当初私たち夫婦には「治療を選ばない選択肢」はありませんでした。
大地の未来を繋ぎたい、絶対に守りたい。
たとえ完治しなくても、うまく病気と折り合いをつけながら生きていければという思いでした。
しかし同じ病気の人たちのブログを読んだり、他の先生にアドバイスをもらっていく中で、この「ラブライド腫瘍」がどれだけ難しい病気なのかを思い知るしかありませんでした。
本当の一縷の望みをかけて大地を最後まで苦しめてしまう日々を選ぶのか、大地の笑顔を1日でも1時間でも多く伸ばす日々を選ぶのか。
本当に悩んで悩んで悩んで悩みぬきました。
そして私たちは、治療を諦めて大地との思い出を作ることを決めました。
その報告をしたとき、主治医は言いました。
「決断するまでは言うつもりはありませんでしたが、私もそのほう(治療を諦める)が、大ちゃんらしいと思います」
この言葉に、私たちは救われた思いでした。
息子たちへの告知
大地の治療を諦めること、残された日々を楽しく生きていくことを決めた私たち夫婦は、まず大地の二人のお兄ちゃんたちに説明しなければいけませんでした。
長男・優輝、次男・康介は「大地死んじゃうのいやだ・・」とずっと泣いていました。
まだ小学生の二人に、弟がいずれ亡くなってしまう現実を説明するのは親としてただただ無力感しかありませんでした。
優輝はひとしきり泣いた後、自分で顔を洗いに行き、「コウ(康介)、大地のところへいこう!」と次男を連れて大地のところへ行き一緒に遊びだしました。
まだまだ甘えん坊で泣き虫だと思っていた長男がこんなにしっかりしていたなんて。
子供たちの姿をみて、私たち夫婦はもっと強くならなければいけないと覚悟を新たにしました。
笑顔の日々
それからの日々は「大地の病気を完治させる」事ではなく、「大地の日々を笑顔にあふれた楽しいものにさせる」事が家族の目標になりました。
友人や知人の中には「諦めたらだめだ」「まだ何か治療法があるかもしれない」と言ってくれる人もいました。
すべては大地や私たちのことを心配してのこと。本当にうれしかったです。
最後の入院までの2ヶ月半(思ったよりずっと短い日々でした)、たくさんの思い出を作りました。
家族で盛り上がったゲーム大会、京都旅行、広島旅行、沖縄旅行、バーベキュー…。
今日は大地とどんなことをしようか、どこに連れて行こうか。
大地をどう喜ばせようかと考えることが、私と主人の日課になっていきました。
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