小児がんで子供を亡くした後のつらさ、悲しみは計りしれません。
それらをすぐに癒すような特効薬もありません。
娘を小児がんで亡くした体験を元に、残された家族はどう前を向いていくべきか、心のサポートのあり方を書き残していきます。
小児がんで我が子を亡くした家族の心
自分が産み育ててきた我が子が自分より先に亡くなる事は、その年齢に関わらず大きな絶望を与えます。
親にとっては自分が亡くなるよりも辛い出来事に他なりません。
- 罪悪感
- 夫婦関係の変化・亀裂
- 兄弟への接し方の変化
罪悪感
「あの時、ああすればよかった」、「こうしなければよかった」という後悔と、罪悪感は常に親の心を蝕みます。
私はかつて、娘が薬をなかなか飲まずに、ぐずっているのを叱ってしまった事があります。
その時は私自身も必死だったのですが、今思うと、本当にかわいそうなことをしました。
どうしてもっと娘のペースにあわせてあげられなかったのか。
涙をぽろぽろこぼしながら薬を飲んでいた姿を思い出すたび、胸がつぶれそうになるのです。
夫婦関係の変化・亀裂
闘病中の我が子を支える目線は父親と母親で全く違います。
特に父親は経済的に支える責任がありますから、看病や闘病生活になかなか沿うことができなかった負い目や後悔を持つことがあります。
また、病状が末期状態になり、余命宣告に近い話になると、治療を更に重ねるのか、治療をやめて思い出作りに専念するのかについても両親で意見の相違が出る場合があります。
私たち夫婦の場合、私(父)は治療を続行、妻は治療をやめて楽しい思い出作りに専念させるということで真っ二つに分かれました。
妻の気持ちも凄くわかりました。
これ以上、娘に痛い思いをさせたくない、と。
私には受け入れがたい選択でした。
治療をやめる=娘が亡くなるのが確定してしまうということです。
そんなことは絶対に、絶対にいやでした。
最後には、妻の意見を取り入れ、娘の好きなことをさせてあげようという事になりました。
しかし、仮退院、外泊を待つことなく病状は急変、天国へ旅立ってしまいました。
兄弟への接し方の変化
子供の死は、遺された子供(兄弟)にとって、親から接し方が変化するきっかけになります。
親は、「もう一人の子供も失うのではないか」という不安から、遺された子供について過保護になります。
その過保護さは、亡くなった子供の身代わりのようにしたりするように感じるでしょう(実際にあるかもしれません)。
子供自身も亡くなった子供の真似をしたり、口癖をまねてふるまうなど、親の期待に応えようとします。
切ない悲しみのスパイラルです。
遺された子供(兄弟)は一人の子供であって、亡くなった子の代わりではありません。
親の心のサポート
小児がんで我が子を亡くした親御さんに一番大切なことは、「話すこと」です。
我が子を亡くした喪失感と絶望感からふさぎ込みがちになり、外の世界と隔絶された日々を送ってしまいがちになります。
(実際に私も数ヶ月その状態でした)
同じように、我が子を小児がんで亡くした人たちが集まるコミュニティや交流会に参加し、悲しい思い出を話し、共有することで、少しずつ心が落ち着いてくるようになります。
周囲に、子供をがんで亡くした人がいるときは、とにかく話を聞いてあげてください。
時には八つ当たりされてしまったり、ご自身にお子さんがいらっしゃったら皮肉を言われるかもしれません。
できる限り反論はせず、聞き役に留めてください。
どうしてもきついときは、話題をかえるか、距離をとるなどして自衛されることも大切です。
無理に寄り添ったり、サポートして共倒れしては何もなりません。
最後に
私は娘を亡くしてから毎日放心状態で、仕事も生活もかろうじて行っている状態でした。
次第にふさぎがちになり、見かねた親戚が相談センターなどを紹介してくれたことで、少しずつ生活を送れるようになりました。
その後、自分の意志で、病気で我が子を亡くした家族の交流会に参加しました。
そこで多くの家族の皆さんとの話をきいて、私自身も話して、「悲しみの経験は自分たちだけではない」と感じることができました。
一人じゃないこと、同じ思いを生きてきた人がいる、実際に接することは、残された家族にとって大きな支えになるのは間違いありません。
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