娘を小児がん(白血病)で失った数年後、妻が末期大腸がんだと発覚しました。
そのときの状況、発覚までにいたった経緯を思い起こしながら残していきます。
これを読んで、定期健診の大切さを知り、実際に検査に行って頂ければ僥倖です。
末期大腸がん発覚まで
妻が最初に感じた異変はおなかの張りでした。
便秘気味だったこと、痔の持病があり、血便を軽視していたこと。
これらが最終的に大腸がんの発覚を遅らせることになりました。
「いつものことだから大丈夫でしょう」と気にもとめなかったのです。
それからしばらくして、妻は腸閉塞で緊急入院と手術を受けました。
その腸閉塞を起こしている原因が、大腸がんで、もう治療方法がいくつもとれないステージ4の末期だったのです。
念のため、気になっていた血便について調べる「便潜血反応検査」も行いました。
便に血が混じることはたびたびありましたが、前述のように痔だと思っていたので放置していました。
通常なら0~50が正常値で、50~100がグレーゾーンといわれていますが、妻は1000を優に超えていました。
※妻の闘病記のメインはこちらです。あわせてお読み下さい。
>>妻の末期大腸がん闘病記-症状と発覚、永眠まで-
>>大腸がんはどんな痛みか。症状と血便-女性(妻)の闘病記-
告知に救われたこと
がんそのものの告知は大変あっさりしたものでした。
医師「悪いもんできてるね。早くとろうか」
妻と私『がん、ですか?』
医師「そうですね」というような感じでした。
娘の小児がん告知のときは、ドラマであるような個室で重苦しい雰囲気の中で行われましたが、妻の場合はあっさりしたものでした。
そういった雰囲気だったので「治療すれば治るんじゃないか」「そこまで進行してないのではないか」と思えたりもしたものです。
逆に重々しくなりすぎなかったことは、妻に余命告知をするまで、妻は明るくいてくれたので良かったかなと思っています。
帰りの車内での会話
車内ではがんという結果より、娘の話になりました。
娘も小児がん(白血病)で亡くした私たちにとって、「がん」と言う言葉は特別なものでした。
娘の命を奪ったにくいにくいがん。
今度は妻まで奪おうとしている、何故こんな病気が存在するのかとやるせない思いがこみ上げました。
「Makiの分まで生きるって決めたから、私はまだ死ねないの」妻は決意したような表情ではっきりと答えました。
がん闘病の壮絶さは娘を通して少しは理解しているつもりでした。
だからこそ、負けられない。
こうして家族で再びがんと闘う日々が始まりました。
>>小児がん闘病記~白血病発病から最期まで~
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