突然愛する我が子が、愛する娘が小児がん・白血病と宣告されたら。
娘の異変に気づき、病院にいったときは「風邪だろう」くらいにしか思っていませんでした。
あの日から、家族とがんの戦いがはじまりました。
私たち家族のような後悔をする人が減りますように、思い出しながら書いていきます。
ある日突然我が子が白血病に。発覚のきっかけ。
娘は生来とても活発な子で、男の子に混じってチャンバラ遊びをするような子で、幼稚園でも元気過ぎるといわれるくらいのおてんばさんでした。
そんなある日、朝おきるのをむずがり、家でずっとごろごろしていました。
先日プール開きで沢山泳いだので、その疲れがでたのかなと軽く考えていました。
数日ゆっくりすればまたいつもの元気な子になるだろうと思っていたのです。
しかし、その日に高熱をだし、市販の薬で解熱するものの、また上がってきて、そのたびに薬で解熱というのを繰り返しました。
最初の熱から1週間経って、治りが悪い、風邪が重症化したのだろうかと病院に連れて行きました。
そこで娘を診たかかりつけの医師はこう仰いました。
「これは風邪の熱じゃない。大きな病院で詳しく検査してもらってください」と、その場で大学病院に予約を入れるように言われました。
紹介状も書いていただき、家路につきました。
後部座席で寝ている娘をみて、「大きな病気?そんなハズはない。こんなに元気なのに」と、思ったものです。
白血病の宣告
「急性リンパ性白血病です。すぐに入院して治療をしましょう」
突然娘に宣告されたときのショックは言葉では形容できません。
目の前が真っ暗になって、「この子は生きられるのか」「まだこんなに小さいのに」「治るのだろうか」という思いがいつまでも頭にぐるぐる回って、医師の説明があまり入ってきませんでした。
病院の個室で私たち夫婦と医師がいて、医師が病気のこと、これからのことを説明している。
突然、ドラマの中の世界に放り込まれたような気がしました。
現実感はほとんどなく、ドッキリの看板を持った友人が「びっくりした?(笑)」と出てくるんじゃないかと思ったくらいです。
「治療したら治りますか?」そう先生に尋ねた妻は声も手も震えていました。
どうしてうちの子が、なぜうちの子なんだ…。
待合室の前で看護婦さんとはしゃいでいる娘をみてそう思うしかありませんでした。
>>小児がんの親の気持ちと家族への励ましについて考える。
入院前の焼肉
翌日入院がきまり、入院の支度のために、一旦帰って着替えやタオルなどをバッグに詰めていると、娘は旅行に行くと思ったのかはしゃいでいました。
これから辛い闘病生活が始まると思うと、こみ上げる涙を抑えられませんでした。
入院前に元気とスタミナをつけてもらおうと、その日の夜は馴染みの焼肉店にいきました。
娘は焼肉が本当に大好きで、「カルビとタン塩が一番好き!」と小さいながらもツウな事を言っていました。
「おいしい!おいしい!」と焼肉をほおばる娘の嬉しそうな顔は、今も忘れられません。
馴染みの店でしたので、事情を店長に話すと、快く家族で写真を撮らせてくれました。
(家族3人で収まりたかったので、店長がシャッターを切ってくれました)
店長が涙ぐんで「こんな小さいのになぁ…がんばってなぁ…お見舞いもいく。退院したら腹いっぱいまた食わせっから」と仰ってくれました。
娘にばれないように、店長と私で涙、涙でした。
このときとった写真は今もこのブログを書いているパソコンの横にあります。
店長は忙しい仕事の中、闘病中に4回もお見舞いにきてくれました。
そのとき流行っているテレビアニメのぬいぐるみや本を抱えて。
娘は店長を「キンニクマンのおじちゃん(焼肉と結びつけたのでしょうか?)」と呼び、お見舞いを本当に心待ちにしていました。
振り返って
未就学児の子供は自分で体の不調を訴えることはできません。
いつもと様子が違うと思ったら、様子見や「風邪だろう」と思わずにすぐに病院に連れて行ってください。
取り越し苦労でもいいのです。元気だ、問題ないと安心を得られるだけでもいいのではないでしょうか。
過保護な親だと思われても良いのです。
我が子の体調の異変はむしろ過保護なくらいであるべきだと考えます。
私たち夫婦は、娘の不調に気づきながら、高熱がでたのに市販薬で治るだろうと一週間も自宅で休ませるだけでした。
すぐに病院に連れて行くべきでした。
結果、白血病の進行に影響がでる期間ではなかったですが、様子見をしてしまったことへの後悔は今もあります。
※娘の闘病記のメインはこちらです。よろしければ一緒にお読み下さい。
>>小児がん闘病記~白血病発病から最期まで~
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